私の卒業した大阪の眼鏡学校は、年々生徒数が減る傾向です。
理由は、
・子供が少なくなった
・メガネ店が少なくなった
・将来に希望が持てない
・費用がかかりすぎる
・勉強する意欲がない
・勉強しても量販店に負けてしまう
などでしょうね。
量販店の台頭が顕著な昨今、町の小さなメガネ店が悪戦苦闘しているさまが窺えます。
ま、だけどインターネットが普及してきた現在、小さなメガネ店も生き延びる道が見えてきているのではないでしょうか。
創意工夫することによって、小さなメガネ店が元気になる時代もやってくるのではないでしょうか・・・・。
そもそもメガネという商品はメガネ店で完成品になる商品で、個々の要望に応じて作るものです。
小回りがきく小さなメガネ店なら「強味が活かしやすい」ということも言えます。
インターネットからある程度の知識を得て、「じっくりと腰を据えてメガネを選ぶ」人も増えてきています。
軽薄な価格訴求広告が通用する時代ではなくなっているし、
今こそ、眼鏡学校でしっかりとした知識を身につけ、経験に基づく知恵を発揮し、量販店に立ち向かおう!
金太郎飴店はもういらない・・・・!
成績優秀だったので1年で卒業・・・・?
いえいえ、私たちの時代の修業年限は1年だったのです。
1年は短いようですが、夏休もなく学んでいたので、この1年は長く感じました。
入校時には事務長さんに「君はよほど頑張らんといかんよ!」と言われたのを覚えています。(多数の生徒に言っていたのか・・・?)
その発破が効いたのかどうか、大きな問題もなく、卒業試験も難なく通過し、無事「眼鏡士」になることができました。
「やる気(興味がわけば)になればやる!」ということですね。これは子供のときからです。
9期生はやる気のある勉強熱心な生徒も多くいました。(ま、それが専門学校ですね・・・)
中でもやる気満々のOさん。
Oさんの質問で先生もタジタジになる場面もありました。
のちに眼鏡業界の教育者になり、評論家として一石を投じることも多かったOさん。
Oさんとクラスメイトになれたのはラッキーでした。
私が言っていること、当店HPの記述、内容、多分にOさんの影響を受けています。
下宿の部屋は自炊ができるスペースもないので、ほとんどは外食ですませました。
いきつけの店は「若草」という店で、「おばはん」(私はそう呼んでいました)が一人で営業していました。
席はカウンターのみで、5、6人入れば満員のこじまりとした店です。
店は常連の客しかこないので、この店でいろんな人と知り合いになりました。
徳島出身のすし屋のたっさん、北海道出身の空手やのケンシ、雀士のやっさん・・・など。
みんな個性的で、おもろい人間臭い連中でしたね。
おばはんもおもろい人で、典型的な大阪のおばはん!という感じです。
おばはんの出してくれる食事は美味しくて、食の面では恵まれた生活をしていました。
若草に集まる連中で、いちご狩りに行ったこともありました。
おもろいといえば、若草の隣にいきつけの銭湯があったのですが、その銭湯の名前が「ちんまん湯」でした。
なんちゅうネーミングや!
やはり大阪ちゅうところはおもろいわ・・・・
ちょっとアパート(下宿)の話。
私が住んでいた阿倍野区のアパートは、四畳半の広さでした。
もちろん風呂はありません。
電話もなし(呼び出し電話も)、洗濯は共同洗濯機が一台。
トイレ(便所)もありません。
部屋から離れたところに、共同トイレが一つあるだけです。
9人で一つのトイレです・・・・。
私は腹が子供のときから弱いので、トイレには苦労をした記憶があります。
いきたいのに、先客がいる・・・・ウグググ・・・・。
いつも朝は競争でしたね。
あいつより後に入ると鼻がもげそうになるぐらい臭い・・・・ウグググ・・・。
かといって、便意もないのに便所に陣取るわけにもいかない。
かくて朝はいつもやきもきしていたものでした。
眼鏡実習店は大きな店で、当時大阪では店舗面積当たり一番の売り上げがあったように思います。
メガネ調製は効率をよくするために完全分担作業でやっていました。
検査する人、接客する人、加工する人、調整する人・・・・。
検査する人だけでも4、5人いました。
もちろん、それだけ広い検査室があり、検査台も4、5台ありました。
加工機も4台あり、それがフルに稼働しても日曜日などは、追い付かないぐらい忙しかったです。
大阪ってところは、やはり「人がウジャウジャいる」と感じました・・・・・。
アルバイト中は接客を担当していましたが、実習期間は加工もさせてもらえました。
実習記録より ↓
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手摺りをするとき、セル枠だと左右同じにできないと形がおかしくなる。
メタル枠だと隙間があいてしまう。
ここでは自動玉摺機を置いているので、手摺りはお客様の持参されたレンズを入れるぐらいしかない。
レンズが同じような形だと少し摺ったら入るが、全然形の違うレンズだと同じ形にするのに時間がかかってしまう。
まず、だいたいの部分をダイヤモンド砥石で荒削りして次にセラミック砥石で平摺りをしてヤゲンを立てる。
ヤゲンの角度は通常110°~120°となっているが、それは個人差があると思う。
まず、フロントの部分を合わしていく。そうすれば軸が狂わない。
次に横の部分、最後に下の部分を合わしていくのが良いと思う。
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*ヤゲンとは、フレームリム溝に入れるために、レンズに山(逆Vの字)を立てることです。
こんな感じでレポートを書いていました。
とにかく忙しい店なので、加工もスピードを求められます。
実習生はその加工のスピードに驚かされます。
昔はガラスレンズをカット(かぎとる)する道具に「かぎ箱」と呼ばれる道具を使っていました。
(眼鏡技術読本より)
このかぎ箱でメガネレンズをガリガリとかぎとっていくのですが、学校ではレンズは「垂直に近い傾きにしましょう」と教えられました。
しかし、この店では「よくない例」ぐらいの傾きにして、もの凄い速さでレンズをかいでいきます。
その手の動きは、神業に見えました。
レンズを寝かせた状態で、レンズによってはスピードを加減しつつ、乱視レンズにも配慮し、しかも正確にかいでいきます。
後に、私も神業(らしきもの)を身に付けるのですが、今はその神業はまったく役には立っていません・・・・
病院研修 8
私は「不同視 」という左右で屈折度数差が大きい眼です。
不同視は視機能異常になりやすく、私もそういう問題を 抱えていました。
それで、病院研修中にコンタクトレンズで矯正することにしたのです。
その頃は、良いほうの目(右眼)はほぼ正視だったので、屈折異常の強い左眼だけにソフトコンタクトレンズを入れたのです。
ハードレンズにしなかった理由は、片眼だけにコンタクトレンズを入れるので異物感の少ないソフトレンズにしたのです。
その後、どれぐらいコンタクトレンズを入れていたか・・・ハードレンズにもトライしてみましたが、結局コンタクトレンズはやめました。
理由は、
・やはり片眼だけの異物感を強く感じる
・手入れが面倒
・紛失する
などですが、片眼は遠くも近くもバッチリ見えているので、メリットVSデメリットでは、デメリットのほうが強くなります。
それにコンタクトレンズは少なからず角膜にダメージを与えるものだし、眼の病気になる恐れもあります。
また、コンタクトレンズでは眼位(視軸の向き)の矯正はできません。
斜位 もあった私にはコンタクトレンズは中途半端な矯正にもなります。
それやこれやで、メガネ屋になる予定の私はメガネでの矯正を試みることにしました。
だけど、メガネはメガネで日常的に掛けられるまでには、けっこう苦労しました。
不同視は辛いんですよね・・・
あー、子供のときからメガネを掛けておれば、こんな苦労はしなかったのに。
勉強もスポーツも、もっとできていただろうに・・・・
病院研修 7
40年前はカメラを持っていませんでした。(誰でもがカメラを持っている時代ではなかったです)
それが今ではスマホでキレイな写真が簡単に撮れます。
隔世の感がありますね・・・・。
ということで、病院研修時代の記念写真は一枚もありません・・・・・と思っていましたが、
あった、あった、バッチリ目の奥まで映っているキレイな写真が!
この写真は目の具合が悪くて撮ったわけでなく、研修生の勉強の為に撮ってもらったものです。
ですから、やはりこれが記念写真です。
記念撮影のために散瞳剤を入れましたから、薬の副作用も体験することができました。
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